期限内に全部読みきる

自動車図書館で借りるといちどに8冊借りれる。自動車図書館がやってくるのは基本的にひと月に一回なので、そのインターバルは平均すれば1ヶ月ということになるんだろうけど、今回のように、このまえ来たのが12月の11日、つぎに来るのが1月29日というふうに、49日間も借りれることもある。
それでも、わりと厚みのある本8冊(総計3145ページ)というのは積み上げた高さが20センチを超え、俺にはかなり強敵に見えたのである。
そこで、こんな表まで作ってしまった。既読ページ数を入力すると、今後読まなければならない1日あたりのページ数が計算されるというやつだ。それによると、初期値は1日あたり約64ページ。結構きつそうだ。
実際、そんなに読めない日もあり、1日あたりのページ数がだんだん大きくなっていってあせっていたのだ。
が、そのうちそんな表のことなどすっかり忘れて、ガシガシ読みすすんで、昨日ついに8冊全部読みおわったのでした(なので、最後の2冊の既読ページ数は、さっき入力したものです)。
というわけで、

1Q84 Book 1」村上春樹(著)★★★★★

1Q84 BOOK 1

1Q84 BOOK 1

スプートニクの恋人」をけちょんけちょんにけなした(村上春樹を読む - 主夫の生活 および the MAGUSを思い出す - 主夫の生活)くせに、どうしてまた村上春樹を読む気になったのか。はやりだから?というのもあるかもしれないが、はやっていたときに予約して…というわけではない。たまたま見つけたからなんだけど、それにしてもなぜ?かというと、
あんなにおもしろくない(サイテーな)本を書く人がなぜこんなにもてはやされるのか、お祭り騒ぎのようになり、ばか売れして、カフカ賞をもらいノーベル賞にも手が届きそうと言われているのか?
それが知りたかったからだ。
で、借りるとき図書館員に「自動車図書館では上・下巻のように何冊かになってる本は、基本的に、1冊目しか持ってないので、次の巻を予約しておいたほうがよろしいかと思いますが」と言われたのだが、「この人のまえ読んだときイマイチ君だったのでとりあえず1冊読んでみてからにします」と答えたのだった。本当はサイテーだったのだが。
そういえば、いま思い出したのだが、そのときもうひとつ考えていたことがあったのだ。俺が、これを読む読まないにかかわらず借りておけば、ほかの誰かがこれを借りて村上春樹のファンまたは犠牲者になることを防ぐことができるのではないか。そして、N氏がうちに来たとき、ということはつまりまだ12月18日の時点では、そうなる公算がつよかったのだった。
ところがどっこい、


おもしろかった。


はじめのうちはやはり比喩の多さやわざとらしさが気になってなっていたんだが、だんだんそれも気にならなくなり、ものがたりに集中できた。いったいどうなっているんだろう、このさきどうなるんだろう、とどんどん読める。性的な描写が多いのが気になるが、それもお話におおいに関連しているのだろう。ただ、ウケをねらって必要以上に多めにしてると思う。本のなかにも作中人物のせりふとしてそれについての言及があったし。
スプートニクの恋人」のときもそうだったが、比喩についても直接的な言及があった。やはり、かなり意識的に比喩を使っているのだと思う。後半比喩が気にならなくなるのは、俺の[なれ]というよりも、作者自身もものがたりに集中するあまり比喩のことなんか忘れちゃってるんじゃないか。俺としてはむしろそのほうがありがたいんだけどね。それに、以前のような、ほとんどの人が経験したことがないような、なんの理解の参考にもならない、わけのわからん比喩はすくなくなったと思ったよ。
とにかく文章はうまいんだろうね。文自体はよく理解できるもん。構造だけで勝負できるんだから、比喩なんか余分だわ。まるで、完璧な彫刻のうえに着彩するみたいなもんじゃん。比喩なんて、こうやって、文の本体だけだと自信がないときに使うもんなんだから。でも、あのスタイルが好きな人も多いんだろうなあ。