『心臓を貫かれて』マイケル・ギルモア(著)村上春樹(訳)★★★★☆

村上春樹の訳だから借りたわけではない。たまたまそうだっただけだ。なら、どうして借りることにしたのか?[南自動車図書館]所蔵の本ではないので、予約して借りたんだと思うが、どうして予約することになったのか?[はてなブックマーク - asinに関するmasatecのブックマーク]にブックマークしてあったのかと思ってみてみたが、なかった。ひょっとしてEvernote に入れてあったか(名古屋市図書館の検索結果は普通にブックマークできないのでこっちに保存する)と思って見てみたが、ない。じゃあ、いったいなぜ?とも思ったんだが、それらにないのは「それらを参照して借りたのではない」という証拠にはならないな。それらを参照して借りたのに、それらにあった記録をすでに削除してしまったのかもしれないから。
とにかく、いろんなことをすっかりといっていいほど忘れている。
自分で(たぶん)予約して借りたくせに、読みはじめるまで、馬上槍試合のお話かと思っていた。なんか

ロック・ユー! [DVD]

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と混同していたのだ。
でも、読みはじめて、「殺人で死刑になった…」みたいな内容のメモを自分で残していた記憶もおぼろに浮かんできたのだ。なら、どこに?
うーん、謎である。
まあ、とにかく、重いおもーいお話だ。
はじめは、著者はどうも運命とか家計とか遺伝とか家庭環境とかそういうもののせいにしすぎているように感じたが、よくよく考えてみると、たしかにそのとおりかも、って気もする。そりゃ、そういうものとは関係なく獲得した性質や能力なんかもあるだろうけど、おこりっぽいとか、それを抑制できないとか、(おちつきがないとか、忘れっぽいとか、あきやすいとか、甘いものが好きとか、)そういうことって、自分ではどうにもならないような気がする。それに、暴力が日常的な環境で育てば暴力は普通の行動様式のひとつになってしまうだろう。
殺人はなかなかなくならないけど、なくなるときってくるんだろうか?決してなくならない、そしてなくしてはいけないもの?なくなったら世界のバランスがくるってしまうような。殺人ができるようにわれわれは作られている、ということは、そういうことかな?ともおもうんだが、殺人がいわゆるひとつのエラーだとすると、殺人ができるのはわれわれにふくまれているバグのせいだ、と言うこともできる(なるほど虫の居所がわるかったとか言うよね)。
あるいは、二足歩行になって腰痛や痔になったり食料が豊富になって成人病がふえたりしたように、行動様式や生活環境の変化にからだがついていけなくて出てきたエラーかな?とも思ったが、たぶん昔のほうが多かったと思うんで、それはどうかな。むしろ、昔の行動様式が今だにときどき出現しちゃう生きている化石あるいは先祖帰りのようなあるいは親知らずのようなものかもしれないなあ。
殺人は、被害者側はもちろん、加害者側の家族や友人たちにも、多くの悲しみをもたらすけど、悲しみを悲しみと認識できるようにわれわれが作られているというのがまた興味深いよね。たぶん、これまでに、実にたくさんの悲しいことがあったんだろう。
悲しいことの最たるもんは、やはり、子をなくすことだろうね。自分がなくなったときは、もう自分ではわからないから。生命の存続の根幹部分だからね。まあ、そういう意味では、腹減った〜、とか、眠てぇ〜、とかいうのと同じようなもんかもしれんけど。悲しいのはいやだよ。だからこそ、悲しいことの起らないようにしていこうっていうモチベーションになるんだよね。
ところで、532ページに

母さんは1980年の6月13日の午後に亡くなった。

とあったので、俺は???となったのだ。なぜなら、その少しまえに、ジョン・レノンが殺された1980年12月8日の翌日に母親が電話をくれた、という記述があったからだ。またまた村上春樹お得意のわけのわからない比喩の一種か?“亡くなった”というのは肉体的にではなく精神的にで、その時点ではすでに死んだも同然になっていた、という意味か?だったら、1980年6月13日になにがあったんだっけ?と思って、すこしまえを読みなおしちまったじゃないか。しかし、村上春樹はただ翻訳してるだけで、そんなでしゃばったことをするはずがないし(実際、彼の著作よりもうんと読みやすくわかりやすかった)、著者もそんなレトリックをほかのどこにも使ってないし、ということは、これは原文のミスをそのまま訳しちゃったのか、それとも翻訳時のエラーか?と思って、調べてみました。http://www.amazon.com/Shot-Heart-Mikal-Gilmore/dp/0385478003/ref=sr_1_1?ie=UTF8&qid=1324993230&sr=8-1で。
そうしたら、

ということで、原文では1981年になっていたのでした。
こういうことは、やめにしてもらいたいよねえ。だいじなところなんだし。