『生命はなぜ生まれたのか 地球生命の起源に迫る』高井 研(著)★★★★☆

生命はなぜ生まれたのか―地球生物の起源の謎に迫る (幻冬舎新書)

生命はなぜ生まれたのか―地球生物の起源の謎に迫る (幻冬舎新書)

こちら(生命の存続は偶然か、そして/または、生命というシステムの利点 - 主夫の生活)の疑問の解決に近づくため借りた本(ついつい予約してしまう - 主夫の生活)。タイミングがわるくて、前回の自動車図書館にはまにあわず(借りたのは2冊 - 主夫の生活)、今回の配本となった。
チャラけた文章がお気に召さない人もいるだろうが、俺はまったく気にならない。たとえ話がわかりやすくていいと思った。うん、村上春樹の比喩より百万倍わかりやすい。
内容的にはかなり込み入った難しい(まだよくわかってないことを多くふくむ)話なんだが、それを、論理的にもきっちりと、わかりやすく書いてあると思った。
ただ、まあ[ついつい予約してしまう - 主夫の生活]でも、そのサブタイトルからかなり予想はしていたことだが、「生命の存続は偶然か、そして/または、生命というシステムの利点」という俺の疑問とは焦点がずれていた。
著者は【なぜ】と【どのようにして】をごっちゃにしている。本のタイトルが「生命はなぜ生まれたのか」なのに、
230ページで、

最後に本書に与えられたお題、「生命はどのようにして誕生したか」に対する、私及び我々の研究グループの答えをもう一度まとめておこう。

と書いている。
なのにまた239ページでは、

「生命はなぜ地球に誕生したか」というお題目について、国際専門総説誌に投稿するつもりはあっても、本を書くつもりはなかった。

とある。つまり、この本は、“「生命はなぜ地球に誕生したか」というお題目について”書いた本である、という意味だと思う。
だけど、この本に書かれているのは「なぜ(理由)」ではなく「どのようにして(機序)」である。そういう意味で、この『生命はなぜ生まれたのか』というタイトルは詐欺じゃないか?
とも思ったんだが、そうと決めつけることもできまい。
というのも、日本語の【なぜ】にはちょっと【どのようにして】のニュアンスも混じってるような気がするからだ。ある現象(気持ちではなく)について「なぜ?」ときかれたとき「どのようにしてそうなったのか」を答えれば、相手は(自分も)納得してしまう(たぶん)。
ただ俺が知りたいのは、どうして生命というものがこの宇宙に存在するのか/しなければならないのか/別になくたっていいじゃん?/もしそれが存在するなら、なにかそれなりの利点のようなものがあるはずじゃん?じゃあその利点て何?ということなのだ。