伊勢神宮(内宮)にいった

2度めである。が、1度めに関しては、いった記憶はあるが、いったときの内容の記憶はない。徴古館もいったことは覚えている。そんなに古い話ではない。1つめの職場の同僚と一緒だったから、1985〜88年頃のことだと思う。それでも今から、25年以上むかしということになるのか。
今回は、近くで妻の試合があって、試合中俺はひまなので(見てればいいのだが、それほど興味がない)、そのあいだの暇つぶし。1時ぐらいから4時ぐらいまで約3時間の。
これで、内宮についてはずいぶん詳しくなった。といっても、神話とか縁起とかそういうことじゃなくって、神宮庁事務所の建物や職員用駐車場の配置とかそういう地理的なこと。まあ、時間はたっぷりあるので、行ったり来たり、{この奥にはなにがあるのだろう?}と疑問に思ったところは本能のおもむくままに突き進んでいったり、キョロキョロしながらゆっくり歩いたり。みんななんか、まるでNYCのビジネスピーポーみたいに急ぎ足で歩いてるから、たぶんおじゃま虫だったと思う。暇なのはいいことだ。
まず、最初の橋で

橋の横に柱がならんでいるのが気になった。
次のは、もう少し奥にいったところの対岸にある風日祈宮(かざひのみのみや)というところにいくところにある橋からとった写真だが、

ここにも同じようなものがある。
しばらく歩いたときにいた[案内人]という人に聞いたら、〈木止杭〉って言ったかな?まあ、とにかく、上流から流れてきた木が橋にぶつかるのを防ぐためのものらしい。なるほど橋の上流側にある。
次は、その風日祈宮(かざひのみのみや)だが、

本物の社の横が空き地になっていて、そこにミニチュアのようなものがある。撮影禁止ということで写真はないが、いちばん奥の正宮(しょうぐう)の一つ手前にある荒祭宮(あらまつりのみや)もそうなっていた(正宮は手前に目隠し的社があって、奥の本物が見えないので不明)。それについても聞いてみた。
そうしたら、建て替えるときにどこが中心かをわかるようにするためのものだ、そうだ。建て替えるといっても、一旦こわしてから建て直すんじゃんくて、となりの空き地に建ててから、古いほうをこわすらしい。そうしないと一時的とはいえ神様の居場所がなくなるからだそうだ。
ちなみに、いわゆるひとつの式年遷宮ということで、社はどれもこれも新しくなっていたが、ここだけは古いままだった。対岸にあるし、きっと傍系なんだろう。
ところで、内宮/外宮はナイクウ/ゲクウなのに、正宮がショウグウと濁るのはなにゆえか?むかし、濁らないのは神様のおわすところゆえ、と聞いたことがあるが、それはガセだな。

これは、荒祭宮のもう一つ手前の脇道にある小さな社群の一つの屋根(どれか忘れてしまった)。
[OYAMATSUMI]というのは、イタリアのプログレッシブ・ロック・バンド PFM(Premiata Forneria Marconi)の日本でのたしか2枚目のアルバムTHE WORLD BECAME THE WORLD(1974)の1曲めThe Mountain という曲で知った。そしてそれで知っているのみだった。それに、ここで出会うとは。

そしてこのあとはお決まりのコース。

このように建ちならぶ建物はみな妻入りである。Y氏の家が基本的に妻入りなのは、三交不動産製のせいではないか、とはどこかで書いたような気が。妻入りは三重県人の矜持ではないか。あ、いまストリートビューでみたら、玄関のある半分は棟入りだった。あれれ???まあ、車庫のある側が妻入りなんでいいっか?


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