『進化しすぎた脳』池谷裕二(著)★★★★★

前半は脳のマクロ的というか脳全体としての働きについてだったので、それほどおもしろくなかった。ただひとつ、好きなときにボタンを押させるという実験があって、

“脳波をモニターしながら脳の活動を調べると、答えは先に「運動前野」という運動をプログラムするところが動き始めて、それからなんと1秒ほども経ってから「動かそう」という意識が現れたんだ。つまり、脳のほうが先に動き始めようとしたってこと。”

(170ページ)

ということがわかったっていうところ。
これがまさに〈実況中継ごっこ〉(「息の発見」五木寛之×玄侑宗久(対話者) ★★☆☆☆ - 主夫の生活)のできる理由ではないか。ああ、ちゃんと根拠があったんだ…って、ヒデキ感激!

でもって、後半は、ニューロンの動作メカニズムみたいな話になっておもしろかった。
あ、そうそう、前半でもうひとつおもしろいことがあった。前半というか、前半と後半をつなぐところというか。
記憶というのは曖昧で、なかなか覚えられない。というところ。
これには意味があって、曖昧じゃなくてあまりに正確に記憶してしまうと、それ以外は別のものと認識してしまうし(図鑑で写真を使わず絵を使う理由とにてる)、あんまりすぐに記憶してしまうと、変化しているものの場合(広い意味ではみんなそうだけど)始めのほうを記憶するとあとのほうのは別のものになってしまう。
だから曖昧でいいんだし、なかなか覚えられなくていいんだ。ていうか、曖昧で、なかなか覚えられなくて当然だし、いやむしろ、そうでなきゃいけないんだな、って。
じゃあ、どのようなメカニズムでそういう曖昧さが生まれるのか?
ということで、もっとミクロなお話、つまりニューロン論へとつながっていくのだった。

ニューロンの細胞膜は水は通さないがK+だけとおすらしい。なので、K+は濃度のひくい外側に出てこうとする。内部では+イオンが減ったぶん、電位が下がる。ゆえに細胞膜の内と外で電位差が生じる(膜電位)。
さて、ニューロンの細胞膜にはNa+だけとおすチャネルがあり、ふだんは閉じている。ところが、なんらかの理由で膜電位の電位差が小さくなる(膜電位が浅くなる)とそのチャネルが開く。開くと、Na+がよりすくない細胞膜の内側に流れこむ。流れこむと内側の電位がそのぶん上がり、膜電位がより浅くなる。すると、となりのチャネルもその影響で開き、Na+が流れ込み、膜電位が浅くなり、そのまたとなりのチャネルも開き…というように、膜電位の浅さの波が伝わっていく(活動電位(スパイク))。
それがニューロンの先っちょまでいくと行き止まり(シナプス)である。ちなみに、となりのニューロンとのあいだのすきまは20nm。
スパイクがそこまでいくと、そこにあるたくさんの小さな袋から神経伝達物質が放出される。神経伝達物質の主なものはグルタミン酸、GABA(γアミノ酪酸)。ほかにアドレナリンとかドーパミンとかセロトニンとか…それらの物質はニューロンによって種類がだいたい決まっているらしい。
グルタミン酸がとなりのニューロングルタミン酸受容体にとどくと、そのチャネルが開き、Na+が流れこみ…スパイクの波がまたはじまる。が、
GABAがとなりのニューロンのGABA受容体にとどくと、そのチャネルが開き、Na+のかわりに、Cl-がよりすくない細胞膜の内側に流れこむ。Cl-が流れこむと膜内外の電位差がより大きくなり、スパイクを抑制する。これがうまく働かないと抑制がきかなくなって痙攣がおこる。
それらの受容体は1本の神経繊維上に混在している。それがとてもたくさんある。そして、1つのニューロンからでている神経線維は、ほとんど入り口用(受容体がある)で、出口用(神経伝達物質を放出する)はとても少ない。ちなみに1つのニューロンに10000ぐらいのシナプスがあるらしい。つまり、ものすごくたくさんの入力(変数)があって、その総計(関数)として出力(発火)するかどうかが決まる。そりゃ、曖昧になるわけだ。そして、ここからは俺の推測だが、ものすごくたくさんのニューロンの出力の総計(関数)として記憶とかがおきるのだろう。そりゃ、ますます曖昧になるわけだ。
ところで、出口繊維の根本で発火すると決まったら、そのスパイクは入口のほうにも伝わるらしい。。そのときまたしてもとなりのニューロンからグルタミン酸がやってきて、そのスパイクと出会うとどうなるか。スパイクとはNa+流入の波である。グルタミン酸受容体のチャネルが開いてもNa+が流入する。それらが重なるということは、つまり、いつもよりたくさんのNa+が流れこむ。
そうすると、NMDA受容体というチャネルが開く。そいつはCa++をとおすチャネルで、Ca++が流れこむと、グルタミン酸受容体チャネルの数が増える。グルタミン酸受容体チャネルが増えれば、ますますスパイクの流れがよくなる。
どうもそれが記憶と関係あるらしい(ヘブの法則)。ためしにNMDA受容体のないマウスをつくったらモノが覚えられなくなり、NMDA受容体をたくさん持ったマウスをつくったら、記憶力がよくなったそうだ。
ところがアルツハイマー病になると、そのグルタミン酸がへっちゃうらしい。そりゃ記憶力がわるくなるわけだ。シナプスで放出されたグルタミン酸グリア細胞というのが回収してるらしいんだが、どうもβアミロイドというのが、グリア細胞に作用してその機能を促進させるようだ。すると、伝達に必要なグルタミン酸がへってシナプスの伝達効率がおちてしまう。
βアミロイドというのはAPP(Amyloid Precursor Protein)というタンパク質をβセクレターゼとプレセニリンという酵素がちょん切ることでできる。この本の元となる講義がおこなわれた2002年の時点では、APPも2つの酵素も、働きがよくわかっていないらしい。なにかほかに役に立つことをしているのかもしれないが、βセクレターゼはどうも古くなったAPPを分解するためだけに存在しているのではないかと言われている。
そしてβアミロイドがさらに増えると、ニューロンを殺してしまう。とくにアセチルコリン神経伝達物質として持っているニューロン。そうなると記憶力が落ちる。ちなみにチョウセンアサガオベラドンナ:美しい女の意;目にさすと瞳孔が散大して美しく見える;白痴美に通じるか)、酔い止め薬、風邪薬にも同じような働きがあり、記憶力が落ちる。
逆に、サリンアセチルコリンを分解するアセチルコリンエステラーゼという酵素の作用を阻害する。よって、地下鉄サリンの被害者の中には、縮瞳して視界が暗くなったり、むかしの記憶が夜も寝られないくらい走馬灯のように思い出されて収拾がつかなくなった人もいるらしい。
また、〈カラバル豆〉の成分〈フィゾスチグミン〉にも同様の働きがあり、これを改良したものがアルツハイマー病の薬になっているそうだ。


ちなみに、ニューロンの数は1000億ぐらいらしい。ということはシナプスの総数は1000兆ぐらいということになる。
ところが、刺激が入力されて処理が完了するのに約0.1秒(100ms)。ニューロン1つの処理速度は1msぐらい、ということで、一つの処理は100ステップぐらいしかないことになる。たった100ステップで、音を聞いて言語と認識して意味を把握するのか(脳の100ステップ問題)?コンピュータにやらせたら膨大な計算が必要だろう。
そして、入出力に直接関係してない〈内部層〉という神経回路に使われている神経が脳全体の99.99%もあるらしい。
たぶん、バックグラウンドにものすごくたくさんのフィードバック回路があって、それがいっせいに並列処理されているのだと思う。そうやってあらかじめ〈自分の世界〉を作り上げておいたところになにか刺激が入力されると、チョチョチョイノチョイと100ステップで出力にいたる、ということなんじゃないかな?