「ミレニアム3 眠れる女と狂卓の騎士」スティーグ・ラーソン(著)ヘレンハルメ美穂, 岩澤雅利(訳)★★★★☆ 

ミレニアム3 眠れる女と狂卓の騎士 上

ミレニアム3 眠れる女と狂卓の騎士 上

ミレニアム3 眠れる女と狂卓の騎士 下

ミレニアム3 眠れる女と狂卓の騎士 下

借りてきたのが12日、きょうが23日だから、約10日か。意外に時間かかった。
というのも、公安警察の組織というか歴史というかそういう説明みたいな部分がおおくて、すこし退屈だったからだと思う。
それに、前作(第2部)に比べて、動き(文字通り空間における物理的な)が少なかったような気もする。なにしろリズベットは前半ずーっと病院のベッドで寝てるんだから。
そうそう、そもそも、ほとんどが前作の事件の事後処理で、あらたになにか大きな事件がおきるわけでもない。そして事後処理といっても、謎解きという感じのものではなく、敵の悪あがきとそれへの対応というようなものなのだ。あと、本筋には関係ないようなエリカがらみのエピソード(これだけが、しいて言えば、あらたな事件かもしれない)と、山場の裁判、そしてエピローグ。全体がだいたいそんな構成だから。まあ、裁判は面白かったけどね。
結構ややこしくて、なんどもまえを読み返さないといけなかったよ(ああPC(や電子ブック?)だったら探すのが楽なのに、とつくづく思った)。
場面の切り替えがおおくて、テレビ的だと思ったな。1場が長いときもあるけど、かなり短いときもあって。クライトンも場面転換が特徴的だと思うけど、もう少しゆったりとしていていて、もっと映画的だと思う。映画みたいに、ひとつの場をだーっと長く書いておいて、あとでそれを細切れにして、べつの話とまぜまぜにして再構成してるんじゃないかなあ。元編集屋の書く編集屋のお話だし。小説もそうやって書くのが普通なの?
そのテレビ的な切り替えのおおさが、まえのできごとを探すときの難しさの一因なんだよね、たぶん。探しているできごとが短い場でチョロッと提示されていて、ページをバラバラめくっていると通りすぎちゃうんだよ。そして、それが、意外に読むのに時間がかかったことの一因でもある、というわけで。そういう場面の切り替え手法が、構成の緻密さを感じさせるのに役だってはいると思うけど、ちょっと技巧的すぎるような気もしたなあ。
あと、まえに、なじみのない名前がおおくて覚えにくい、というようなことを書いたが、なじみがないばかりでなくて、似たようなのが多いのだ。姓あるいは名がまったくおなじ登場人物というのも何人かいる。スウェーデンって名前の種類が少ないのかしら。すこし例をあげてみます。途中で気づいて書き出し始めたので、全部ではありませんが。地名も人名もまぜまぜです。

ヴェンネルストレム
リンドストレム
ニーストレム
エクストレム
サンドストレム
サンドベリ
ハルベリ

セーデルテリエ
セーデルマルム
セーデルホルム

クリステル・マルム
クリステル・セルベリ

グンナル・ビョルク
グンナル・マグネッソン
など

そういや、むかし仕事で使ってた刃物の会社もサンドヴィックっていったなあ(Sandvik Group — ホーム)。
「サンド」とか「ストレム」っていうのは日本でいうと「山田」や「石田」や「松田」や「森田」や「澤田」や「恩田」や「熊田」や「権田」や「岡田」や「田岡」や「田村」や「田上」や「田代」の「田」みたいなもんか?