傷がなおらない 6

左耳裏:「もうけっしてさわりません」と、かたく心に誓った(傷がなおらない 5 - 主夫の生活)はずなのに、かゆくてたまらんくて、さわってしまった。心配になって鏡で見ると(今度は懐中電灯を使ったのでそんなに苦労しなかった)汁の固まったのががっちりこびりついている。気になって、それもこそげとってしまう。で、いま、ひりひりしている。もうやめとこう。
右足首前部:きのうラップ交換しなかった(シャワーもそのまま、シャワー後もそのまま)。くさくなっていた。ラップをはがし水で洗う。クリーム色のかさぶたのふやけたやつもとりのぞく。傷のまわりの皮膚が赤くなって角質化しているようなので、湿潤療法はやめ。開放(放置)療法にかえる。
左下腿部:ついでにこっちもラップをはがし水で洗う。こちらも傷のまわりが赤くなってすこし腫れているので、開放療法にかえる。こちらは、右足首前部のに比べても浸出液の量が少ないので、もう開放療法に切り替えどきかとも思う(ということは右足首前部はその点に関しては時期尚早の感あり)。



こんなにたびたび治療方針をかえていてええんかいな?とは思う。
自分の体を使った生体実験なのだ。
思うに、ラップは傷口(上皮の欠落した部分)より大きな部分を被覆するのに対し、かさぶたは傷口しか覆わない。またラップは人為的にはがさないかぎりそのままだが(まれにシャワーや入浴ではがれることもあるが)、かさぶたはオートマチックにはがれ落ちる。よって、かさぶた(開放療法)のほうが傷口周辺への侵襲性が低くなる(あせもにもならない)。
自然界にはラップなどない。かさぶたがその役目を果たしてきた。ところが傷ができてすぐは浸出液の量が多くてかさぶたができない。そこでかつてはガーゼで浸出液を吸い取っていた。しかし、浸出液は細胞成長因子であり、ガーゼで吸い取ってしまっては上皮化が遅くなり、またガーゼをはがすときひどい痛みに苦しまなければならない。ガーゼではなくラップで覆えば、それがかさぶたのかわりとなって、細胞成長因子たる浸出液は留保され(いくらかはもれるが)上皮化がはやまり、しかもはがすとき痛くない。
さっき「かさぶたがラップの役目を果たしてきた」というようなことを書いたが、本当はラップがかさぶたの役目を果たす、というべきだろう。
というわけで、浸出液の量が多いあいだはラップで覆い、少なくなったらかさぶた君におまかせする、というのがいいのではないか。