見られているって、どうしてわかるの?

「ラビリンス」(ケイト・モス)を読んでいて、

うなじに刺すような視線を感じてうしろを見た。
(中略)
あとをつけられているのがわかった。かすかな足音と荒い息遣いが聞こえていた。

という箇所を読み、思った。
本当に背後の視線を感じる能力が、人間にはそなわっているのだろうか?
誰かに見られている、と思ってふり返るとたいてい見られている、という話を、かつて、新栄のCountry Joe'sというバーで、イギリス人のSiやアメリカ人のBらとしていると、仲間のインド人に、「そう思ってふり返ったとき、たまたま見られていると印象に残る。見られてないときのことは忘れてしまう。だから、いつもそうだと思うのではないか。実際には見られているときと見られていないときは同じくらいじゃないか思う」と言われた。なるほど!さすがに理屈と口八丁の国!と感心したんだが、実はかすかな足音や息遣いが聞こえていて、それを「見られている」感覚として認識しているのかもしれない。
まあ、とにかく、いわゆる先進国の人たちが、いわゆる神秘の国の人に、そういうことを言われるのって、なんか面白いな、と感じた次第。
あ、ちなみに、Y氏の話によると、シンガポールでは、人口の数パーセントしかいない弁護士のほとんどすべてがインド人なんだって。わかるわあ、それ。