一日中ホンを読む

これだ。

わたしたちはなぜ科学にだまされるのか―インチキ!ブードゥー・サイエンス

わたしたちはなぜ科学にだまされるのか―インチキ!ブードゥー・サイエンス

SFより面白い。というかSFの限界も感じる。現実にない条件を設定したとき、いったい何が起きるのか。それを予測するためにはあらゆる既知の科学知識を適用しなければならない。しかし、一人の人間がすべての科学的知見を網羅することはきわめて困難であろうし、たとえそれが可能であったとしても、微妙な初期値の違いで結果が大きく異なってくる場合もあろう。そして、そもそも、科学的知見は日々変化している。昨日は正しかった予測が、今日は間違いなんてことも、往々にして起きてくるだろう。
アーサー・C・クラークも好意的に引き合いに出されている。通信衛星の予言は見事なものだが、いかんせん、それは有人衛星だった。消耗した真空管を交換する人が常駐する必要があったのだ。通信衛星は予見できても、トランジスタは予見できなかったのである(トランジスタの発明はその2年後)。
「なぜ〜は〜なのか?」という題名の本は、胡散臭いものが多く、たいていはその答えが明確に書かれていない、という印象がある。しかし、この本はいたってまじめな本で、出版社は日本語タイトルのつけ方を間違っているか、つけ方に何かかんちがい(「なぜ〜なのか?」のほうが受けがいいだろう、という)をしているに違いない。そして、今のところ(半分強)、「なぜ〜」の答えは明確にはわからない。それを置いといたとしても、「〜なぜ科学にだまされるのか」ではおかしいだろう。だまされるのは「エセ科学」になのだから、「〜なぜ『科学』にだまされるのか」か、「〜なぜ科学という言葉にだまされるのか」でないと意味がとおらない。ちなみに原題は「VOODOO SCIENCE: The Road from Foolishness to Fraud(お馬鹿からペテンへの道のり?)」である。
しかし、きわめてまじめな内容にもかかわらず、筆者の人柄がしのばれるユーモアが随所にちりばめられており、読みながら声を出して笑うこともしばしばである。こういうノンフィクションにしては構成もよく、はじめのほうに出てきた人物があとでまた出てきたりして、いわゆる伏線をはっているみたいで、べったりとしておらず、なんかこう立体的でいい。