中京競馬場の花火大会

上の子が走りに行くと言うので、俺たち3人が先に行って、競馬場で落ち合うことになっていた。
しかし、7時をすぎても現れない。あんな広くて且つ人がぎょうさんおるところで落ち合うというのはどだい無理な話なのだ。転んで怪我をしたり、ウンコがしたくなったりして、家に入りたいのに入れなくて困っているかもしれない。心配になった俺は、そんな不確実な計画を立てた妻に、責任をとって家まで見てくるよう命じた。
下の子と2人で見るのがつまらんというわけではなく、そんなふうに心配しながら見ているので、ことしの花火はじゅうぶん楽しめなかった。というだけでなく、すでに花火は感受性の限界に来ているのだと思う。簡単に言うと、もう飽きた、ということになるが、もう少しややこしく言うと、サーカスのところでも書いたが、技の切れとか、絶妙な間とか、そういう微妙な違いなど、通でもない俺にはわからない、どれもこれも似たり寄ったりなのだ。
というわけで、来年以降、花火はもう見に行かないかもしれない。