あれは(厳密には)寺ではなかった

きのう、あれ(この集積度は異常じゃないか? - 主夫の生活)を書いたあと、すこし調べてみた。
どうもあのいっぱいあるのは、厳密には寺ではなく、塔頭(たっちゅう)というらしい。塔頭はえらい坊さん死んだあとにつくった記念建造物のことみたいだ(塔頭 - Wikipedia)。たしかに、記号は[卍]だが、[〜寺]ではなく[〜院]と書いてある。
そして、まんなかのだけは[〜寺]であって、つまり[大本山妙心寺]だ。そういえば[妙心寺派]という言葉は聞いたことがある。派閥のタイトルになるくらいだからそりゃあたいした寺なんだろう。
それから[花園]というのは天皇の名前で、[花園]という地名はそこにその御所があったことからついたようだ。その御所が妙心寺になったということなんで、つまり[花園≒妙心寺]みたいなもんだな(妙心寺 - Wikipedia)。
いやあ、あのとき(その前日、おれは買ったばかりのAlfa156で伊勢のほうにいっていて、そこから花園の京都府立体育館に直行したのだった。あのへん道がせまくて、ちょっと緊張していた)もっと自分の足で歩くべきだったな。それにいくまえにもっと勉強しとくべきだわ。せっかくいくなら。そもそもそんなころは自分の足で歩きまわるという発想はなかったか。子守もしなかんかったし。