それでも日本人は「戦争」を選んだ (加藤陽子 著)★★★★★

それでも、日本人は「戦争」を選んだ

それでも、日本人は「戦争」を選んだ

高校生(栄光学園歴史研究部を中心とする)を対象にした五日間の授業(ただ講義するだけでなく問いかけやそれに対する答えがある)をまとめたもの。だけあって、とてもわかりやすい。史料もむずかしい漢字は平仮名になおしてあるし、おまけにちゃんと現代文での解説もされている。
それに、じつに冷静で、声を荒らげて力説するようなところがなくていい。答える高校生に対しても丁寧で敬意すら感じられるほどだ。
先ほど「とてもわかりやすい」と書いたが、それでもわかりにくいところが2つあった。ひとつはすぐに見つかったが、もうひとつがなかなか見つからず、かなり広い範囲をザーッと読み返すことになったのだが、ザーッと読み返しただけではなにが書かれていたのか思い出せないところも。頭から順につらつら読んでいくぶんにはいいのだが。「なるほどなるほど」と読んでいても、すぐ忘れちゃうもんね。その気なら、3回ぐらいは読まんと。まあ、そのくらいの価値のある本だとは思う。
で、そのわかりにくかったところというのは、

アメリカにとって41年4月というのは、晴れてイギリスに対して多くの武器を一斉に積出しはじめていたときであったということです。また、海軍の大建艦計画もようやく始まったばかりでした。連合国の兵器庫と自らを位置づけるアメリカとしては、時間が要る。時間を稼がなければならない。ですから、ハル国務長官も、41年4月16日、正式に日米交渉に着手するわけです。

というところと、

…ドイツが中国を捨てたことです。そうなると中国はソ連についていかなければならない。日中戦争の開戦当初まで、ドイツは武器を中国に売っていた。しかし、共産主義を防がなければならないとのスタンスをドイツがとり、極東の日本とヨーロッパのドイツが手を結ぶ。中国国民政府は、中国共産党の影響力増大を怖れていますから、むしろ中国共産党ソ連と結びつく前に、中国国民政府の側が先にソ連に接近しなければならない、こう考えるわけです。

というところの2箇所。
前者は、どうして時間を稼がなければならないのか、それが日米交渉(日中戦争解決に向けての)にどう関係しているのか、がわからなかった。
たぶん、単独でドイツと戦っているイギリス(6月に始まる独ソ戦争はまだ)には武器を援助しないといけないが、同年3月にローズベルト大統領が署名した武器貸与法は、イギリスだけでなく中国への武力援助も担保しているので、中国にはもう戦争をやめてほしい、ということなのだろう。
後者は、国民政府が先にソ連と仲良くなれば、共産党は仲間はずれになるだろうという希望的観測をドイツが持っていたということですか。