「原始日本語のおもかげ」木村 紀子(著) ★★★★☆

原始日本語のおもかげ (平凡社新書)

原始日本語のおもかげ (平凡社新書)

こういう語源関係のものは、読んでるときは「なあああるほどなあああ」と思って読んでるんだが、読み終わると、個々の事例はすっかり忘れている。かといってメモをとりながら読もう(記録に残そう)という気には、やっぱりなれない。ひょっとして、すぐには思い出せない記憶の表層ではなく、ずーっと奥のほうに残ってて、なにかの拍子に浮上してくる、なんてこともあるのかもしれない。
文字が使われるようになるまえの言葉が対象で、問題となるのは当然その音韻なので、そのせいかどうかわからんが、結構まめにルビが振られていて、読みやすかった。音をだいじにしてるんだと思った。やっぱり、これも、ひらがなで(カタカナでもいい)書こうかな、って、あらためて*1思ったよ。
ところで、高校の古典の授業では、自信満々に〔ひとつの文章に対して〕ひとつの解釈をつきつけられたものだ。だが、文章の解釈も、実はいろいろあって、当時の生活ももちろん!よくわかっとらん、ということがよくわかってよかったよ。高校のとき、あんなに、自信喪失する必要はなかったのだ。高校では「わかっているところ」(定説となっていること)だけを、さもそれがすべてであるかのように、自信たっぷりにしかも権威主義的に教えていた、ということなんだ。
でも、そんな教え方じゃあ、古典を読み解く「楽しみ」なんてまるでわかんねぇよ。「楽しみ」は「わかってないところ」にあるんだから。