「バカの壁」と「超バカの壁」を読む

いまさらですが。でも、どうしてこんなものがあんなに大評判になったのかわからない。養老氏は口述しただけで書いたのは編集者らしいが、それだからだろう、単独の文章は理解できても文章と文章のつながりがよくわからない箇所がとても多い。
どうして読もうと思ったかというと、妻の職場に、妻の言うことがまったく理解できない同僚がいるという話を聞いたからだ。たとえば、2.0のランドルト環が見える人もいれば、俺のように0.1のそれすら見えない人もいる。たとえば100メートルを10秒で走れる人もいれば、20秒以上かかる人もいる。それと同じように、あることをいくら噛み砕いて説明してもどうしても理解できない人というのがいるのではないか。そのことをさして[バカの壁]と言ったのではないか。と、そう思ったのでからである。
だがしかし、読んでみても何をさして「バカの壁」と言っているのか、俺にはわからなかった。たぶん、関心のないものにはそこにあるものも見えない、ということなのだろうが、明示的に書かれているわけではない。それに関する箇所は前者のその冒頭の1章のみで、あとは、特に後者は関係が薄い。思うに、タイトルは、編集者がウケをねらってつけたものであろう。で、その効果がてきめんであれだけ売れてしまった。のではないか。

バカの壁 (新潮新書)

バカの壁 (新潮新書)

超バカの壁 (新潮新書 (149))

超バカの壁 (新潮新書 (149))