「アクセントの法則」を読んで

いや〜、それにしても恐るべし鹿児島弁、だな。なんと美しい規則性。完璧だぜ。
しかし、いまやそれも崩れつつあるという。実に残念なことではあるが、それはしかたのないことなのだろう。そのもとの鹿児島弁だって、いろいろ変化を経てその形になったのだろうし、将来の鹿児島弁も今より複雑にはなるがそれなりの規則性を持っているはずだ。単純な規則性のほうが複雑な規則性よりも美しいと、たしかに俺はそう思うが、それは感じ方の問題なのかもしれない。
情報と人の交流によって、こうしてまたひとつの文化が失われていくのだが、そういうことはいままでいくらでもあったことだし、それも「よし」としなければならないだろう。そう考えると、日本語というひとつの言語そのものが失われることも認めなければ筋が通らない。