「生きる」を見る

志村喬がブランコにゆられるシーンが有名なあれ。スチル写真で見たあのシーンのせいで、なんか映画を見たような気になっていたが、実は見てなかった(と思う)。
たしかにわりと面白いし、つくられた時代を考えるとなかなかのものなのかもしれないが、俺にしてみりゃいまいち。とにかく、せりふが聞きづらいのはつらい。特に2つあるビデオデッキの左のは、全編エフェクタがかかっているので、途中で右のに入れ替えたのだが、それでも似たようなもんだった。うちはやっぱり字幕が必要かも*1
「なにかをつくる」ってのは、やっぱりいいよねえ。ホントに熱中できる。それで仕事やめたようなところもあるんだ。まあ、映画見て、「俺も仕事の中で『なにかつくる』ってことできなかったのだろうか」と考えたんだけど、まあ、それもねえ。仕事の合間に「なにかをつくる」のもそんな合間がなくなってきたし、仕事をテキトーにしながらっていうご時世でもなくなってきたし。仕事のためにあるいは仕事として、という本来職業人としてあるべき「なにかをつくる」っていうのは、もうねた切れというか、あきたというか、より上のものをつくっていこうという情熱がなくなっちゃんたんだよね。
いまは、料理つくったり靴下なおしたりしてるほうが、よっぽどクリエイティブで面白いわ。

*1:でも、字幕だと逆に意味がわからないときもあるんだよね。NHKの朝ドラも字幕つきで見てるんだけど、役者がせりふを言う前に字幕を全部読んじゃうことがあるの。でも、字幕を読んでも意味がわからないときがあって、役者が声でせりふを言ってはじめて「ああ」とわかることがあるんだ。