時系列と文末決定性

これをかくとき、どういう時系列にすべきかなやむ。日単位ではあたらしいのが上である。ならばトピック単位でもそうすべき? となれば、文章も右下から左上へとかくべきだろう。でもそれは読む人も困るし、技術的にもむずかしい(そういうソフトあるかな?)。でも、かく順序という観点でかんがえればそうなる。
そもそも、どうしてあたらしいのが上にくるのがコンピュータの世界で一般的かというと、それはたぶんこういうことだろう。あたらしい情報のほうがより価値があり、より価値のある情報によりはやくアクセスできるように。
ところが日本語は(コリアンもそうらしいがよくしらん)、より価値のあることばが文章の(ひとつひとつの文章のみならずお話の全体構造でも)ケツにある。情報のもつ価値のおおきさという観点でかんがえても、日本語の場合コンピの世界で一般的な順番と整合性がない。
その点インド・ヨーロッパ語族(だけじゃないだろうが)はいい。さすがにかく順序までは整合しないが、情報のもつ価値でかんがえると、実にすっきり、ぜ〜んぶ頭でっかちにできる。そういう言語を母語とするひとびとは、きっと紙とインクの時代からそうしたかったにちがいない。しかし、紙とインクでそれをするのは技術的にむずかしい。だから、コンピュータがでてきてそれがきわめて簡単にできるようになったとき、うれしくてうれしくてたまんなかっただろうとおもう。
そんでもって、これからおれはどうしていくかというと(トピック単位の順番のはなし)、いままでどおりテキトーにやっていきます。基本的にあたらしいものが下。でも写真が1日1枚のときは写真に関連したトピックが一番上です。