義母の夢のはなし

名古屋市内の信仰の山にかつて1万円ほどだしてツアーで登った。しかし、このたび、宗教的な登山は山側の都合で打ち切り、ということになった。そのため、かつては山でおこなわれていた聖なる石(あるいは砂)の下賜が、市内でおこなわれることになり、義母はそこにいた。場所は、いま思い出してみると桜山の交差点の北東の角だそうだ。
義母はかつて、現実にその山に登りそのような宗教的行為をおこなったような気もするし、桜山での聖なる石(あるいは砂)の配布を経験したかもしれないが、夢だったかもしれない、と言う。また、2度つづけてその夢を見たと言う。
俺は、内容からして(名古屋市内にそんな信仰の山はないし、特に桜山のくだりから)、それは現実の記憶ではなく夢である、また、そういう夢をかつて見たのではなく、かつて見たと言う夢を見た、また、同じ夢をつづけて2回見たのではなく、ついこのまえも同じ夢を見たという夢を見たのだと説明した。
記憶の捏造は、現実でも夢の中でも、しばしばおこなわれると、俺は思う。