心の問題

憲法19条は、簡単に言えば「行為にうつさなければ何を考えてもいい」という意味だと思っている。

みだらな思いで他人の妻を見る者はだれでも、既に心の中でその女を犯したのである。
(マタイによる福音書

という考え方もある。これはこれでいい。というか、こっちのほうが考え方としては美しい。しかし、自発的に思うぶんにはいいが、人から言われたいとは思わない。

小泉君の発言には次の点でおかしなところがある。

  1. 考えることが自由なので、それに基づく行為も自由だ。という論理。これでは、殺人でも強姦でも何でもありになってしまう。
  2. 参拝するということは行為にうつしているわけなんで、すでに心の問題を逸脱している。心の問題ではなく行為の問題である。それを心の問題と言っている。

俺は、彼の発言がおかしいと言っているだけであって、参拝するな、と言っているわけではない。ただ、追悼は心の中でおこなうものである。だったら、どこにいてもできるわけで、わざわざどこかに出向く必要はない。心の中で追悼する自由は、これを侵してはならない。それは心の問題である。
しかし、そもそも追悼する必要などないのである。