「西遊記」

とにかくスケールがでかいのがいい。「そして500年がたちました」とか、「ひとっとび10万キロ」だとか。おいおい、10万キロったら地球を2周半もしちまうぞ。自分の今いるところを2回も通りすぎちまわぁ。
これ以降「ネタばれ」がありますのでなるべく見えないような色にします。ご覧になりたいかたは反転させて読んでください。
で、結局、三蔵は天竺にたどり着けなかったんだね。直前で水死してんだ。ていうか、孫悟空に川に突き落とされて殺されたみたいなもんだ。でも、お釈迦様には会えている。いやいや、「でも」じゃなくて「だから」というべきか?お釈迦様はあの世のものだから生きてるままでは会えないのだろう。孫悟空猪八戒やサゴジョウはもともと妖怪、というかあの世のものだからいいんだろう。始めのほうで三蔵(そのときはまだ「三蔵」の号はなく、ただの玄奘)が会ったのは、お釈迦様じゃなくて観音菩薩。菩薩というのは仏陀になれるのに仏の教えをこの世に伝えるためあえてこの世にとどまっている人のこと(お釈迦様の使徒ともいえよう。キリスト教でいうと天使か)だから、生身の人間でも会うことができたのだと思う。まあ、そういったところもいい。理屈にあってる。
ということで、スケールの大きさだけでなく、ラストの意外性もよかったし、論理の整合性もちゃんとしててよかった。さすが、500年近く読み継がれてきている古典だ。それに、訳もよかった。「マネージャー」とか「パーティー」とかいう訳語がちょくちょく出てきてわかりやすい。ちなみに、読んだのはA氏にいただいた子供向けの全集「世界の名作図書館 35 八犬伝西遊記」(講談社 昭和43年 定価550円)。訳者は君島久子である。