「元気」を読む

である。年寄りくさいと思うが、それは無理もない。年寄りから借りたからだ。これもちょっとだけ複雑で、「自分史」というものを書いている義母に、「参考にこの本をこれで買って読むといい」といってあげた図書券で義母が買ったものなのだ。まあ、自分で買ったようなものだ。
五木寛之を、さらにこの本を選んだのはなぜだろう。俺は決して五木寛之が好きなわけではない。それはhttp://d.hatena.ne.jp/masatec/20050110#p5でもわかるだろう。彼の作品もほとんど読んだことがない。2.5冊ぐらいだと思う。.5の部分は、その塩野七生との対談本を途中でやめたぶんである。あの「青春の門」も読んでない。ただ、まえに読んだ2冊の中の「諦めたような感じ」には好感がもてた。そして、やはり、義母と同じような年代だったからだろうか。さらにこの本を選んだ理由だが、それは単にそのころ読んだ朝日新聞のコラムで自身がこの本についてコメントしていたのが頭に残っていた、というだけのことのような気がする。いま書いていて思い出したのだが、実はあのコラムはかなり好きだった。肩の力が抜けていてよかった、ということをいま思い出した。最近は、ずーっと新聞を読んでないので、すっかり忘れていたのだった。
ところで、読んでいてまた藤原新也を思い出した。今度は取り上げているトピックが「メメント・モリ」系なので当然とも思うが、塩野七生との対談のときは、対極として思い出したわけなので、今回の思い出し方とはちょっと違う。いずれにしても思い出すということは、なんか必然性があるのかもしれない。ちょうど村上春樹でその対極としてジョン・ファウルズを思い出したのが俺一人ではなかったhttp://d.hatena.ne.jp/masatec/20041207#p1みたいに。