新聞読み

土曜の新聞はボリュームがありすぎていけねえ。昔なら日曜がそうだったが、時代だな。日曜は新聞からも解放されたいっていう読者の気持ちを察してか?いや、2日がかりで読ませようという魂胆か。今日のように午前中イベントがあると、午後はそれで潰れてしまう。だからといって、何が残っているかというと、何もない。新聞というのはおおかたどうでもいいことの集大成で、読んだあとに心に残るような記事は、百万に一つぐらいだな。おかげで読もうと思っていた「ドゥームズデイブック」は全然読めなかったよ。
あ、そうそう「認知症」という呼び方はいただけねえな。それはまるで、「動脈症」というようなものだ。それでは「動脈」がどうしたのかわからない、と同様に「認知症」では「認知」がどうしたのかわからない。動脈が硬化したなら「動脈硬化症」、だから認知がうまくできないなら「認知不全症」とかね。そういう言い方をしてもらわないと。「認知病」ならいいんだけどね。それなら認知の病気。「動脈病」なら動脈の病気。「〜病」っていうのは、例えば「心臓病」のように、具合の悪い場所を示す言葉をつけるだけでいい。「巨人症」なら巨人になる(という症状の)病気、「巨人病」なら巨人のかたがかかる病気。ああ、だれが決めてるのか知らないけど、情けないな、国家の中枢がこんな基本的な言葉の決まりもわからないようじゃ。泣けてくるぜ。