『カーリーの歌』 ダン・シモンズ(著)柿沼瑛子(訳)★★★☆☆

読んだのは昭和63年発行のもので、表紙絵はこれとは異なります。カーリーらしき女神像でした。
いかん。怖くなりそうな予感はあるのだが怖くならない。それでも最後までなにかが起きそうな気配が持続しているのはよかった。
コルカタにはわりと長くいて、おれにとっては邪悪な都市ではなく普通の都市になってしまっていたせいもあるかもしれない。だとしても、ここに書かれていることが実際に起きそうなそんな不気味さはないでもない。この本はコルカタにいったことのない人には、強烈な先入観をあたえるにちがいない。
借りてきたものの、コルカタにいるとき、人から「せっかくカルカッタにいるのだからこれ読んでみない?」とわたされて読んだ本だったか?とすこしあせったが、読み始めてすぐそうではないことがわかり安心した。となれば、いまさらながら、現地で読んだ本はいったいなんだったのか、それが気になってくる。
知っている地名や施設名がいろいろ出てきて、それなりに楽しめた。
かのマハトマ・ガンディーは「『まず清潔にせよ』と言った」とだれかが言っていた。本当にそうなのか、調べたことがある。そのときはわからずじまいだった。が、189ページにそういう意味のことがかかれていた。その“だれか”はこの本で読んだのかもしれない。
[訳者あとがき]に

植民地時代にインドを統治したイギリス政府の手によって人間の生贄が禁止されてからは羊が用いられるようになり、今でもカーリー・ガートの庭先にはそのためのギロチンが設置されているとのことです。

とあるが、たしかに前庭にギロチンはあったが“設置”というほど大袈裟なものではない。ポータブルの小型のものである。また、“羊”ではなく、少なくとも俺のときは、山羊だった。その頭を、まるで儀式めいたおごそかさもなく、ギロチンに頭を突っ込んだと思ったらなんの《タメ》もなしにあたかも魚屋が魚の頭を落とすように、スコンと落とすのだった。
おれがコルカタやカーリーにとりつかれていることはたしかで(現にまたもやこんな本を読んでいるのがそのいい証拠で)、それらについてはここに書き込むと検索エンジンで何日後にヒットするか/しないか? - 主夫の生活などでも書いている。