ステップバンのこと

そういえば、その本

ピストルズ

ピストルズ

には、「ステップバン」というクルマがでてくる、というか、使われている。正確には「ホンダ ライフ ステップバン」というのだと思う。俺も、大学の4年の始まりごろから就職1年目の終わりごろまで約2年間のっていた。このことについては、いぜん書いたかもしれない、ので、ちょっと調べてみよう。
このサイトではちょっとかすめる程度で(フィットの保険、更新 - 主夫の生活)、むかしのサイトでは、まったくヒットしなかった。なので、すこし説明しておく。ひょっとして、検索にひっかからなかっただけで、どこかに書いてあって、重複するかもしれないが、それも辞さずということで。


大学3年の春休み、俺は実家に帰った。そうしたら、親戚の人がいて、俺は「お休みなので遊びに来たのか」と思い、明るく挨拶をした。すると「あんたなにやっとったの。おばあちゃんがたいへんだったんだよ」みたいなことを言われた。そういえばその親戚の人は黒い服を着ていたような気がする。
そのころ俺は、下宿をしており、下宿に電話を当時としては珍しくもエラそうに、ひいてはいたのである。使われていない電話の加入権があったので、それを利用したのだ。そのころ父親と母親はわけあって別居しており、俺は父親といっしょに暮らしていた。俺が下宿することになって、電話がいらなくなったからだと思う。アパートには父親の仕事場との内線電話があり、それを使えば仕事場経由で父親には連絡がとれるから、という判断があったのかもしれない。あるいは、アパートをひきはらったからかな?とも思ったんだが、それはもっとあとのことのはずだ。というか、俺の下宿に電話がついたのも、下宿をはじめた時ではなく、その「もっとあと」のことだったのかもしれない。いずれにせよ、大学3年の春休みの時点では、下宿に電話があったのである。にもかかわらず、連絡がとれなかったらしい。いくらかけても電話に出んわで。
そのころ俺は、夜ふけまで大学や友人の下宿ですごすことが多く、そのときは、たぶん、お泊りだったのだと思う。そりゃ出んわ。
俺の下宿というのは、普通のアパートみたいのではなく「土蔵」だった。その隔離された感じが気に入って、そこに住みついたのだけど、その隔離感は、ことに夜遅くなってから帰るときには、やはり寂しかったのかもしれない。
祖母の葬式がおわり、まだそれほどもたたないうち、まだ春休みのあいだだったので、おそらく10日ぐらいのうちだと思う、兄が仕事から帰ってくるなり「クルマ買わんか」という。勤務先の近くの中古車屋でみつけたらしい。ホンダライフステップバン。高校のころから欲しかったクルマだったのだ。小学生か中学生のとき行った「自動車ショー」で買ってきた分厚いカタログ本の写真を見て、よく絵まで描いていたくらいに。これはチャンスだと思った。当時、もうあまり売られているのを見なくなっていたのだ。それに、38万円は安いと思った。が、本当は全然である。発売時の新車価格も38万円だったのだ。7年落ちでそれなのだ。しかもたしか7万キロぐらい走ってたと思う。
それでさっそく、クルマを見にいき、といっても、まだクルマを買うのもはじめてで、まして中古車を買うにあたってどこをどう見ればいいのかまるでわかっておらず、しかも夜で、試乗どころかエンジンをかけることすらせず、ほとんど発見したうれしさのいきおいで、契約をしてしまったのである。ローンで。
そんで、家に帰って父親に報告すると、「ローンなんかとろくさぁあ。手持ちの現金があるで、とりあえずそれで払ってこい」ということになって、祖母ちゃんの香典を借りることになったのであった。で、それを返したかどうかはまったく記憶にない。たぶん、状況から考えて返してないと思う。返せっこないわ、学生だし。「虎は死して皮を残す」が、「うちの祖母ちゃんは死んでクルマを残した」と言っていたくらいだし。
大学に乗っていくと、当時、デリカかなんかの1Boxを買って自分でコツコツ改造していた同期のUにはえらくウケたのを覚えている。同期のUは、その後、すくなくとも卒業の3年後ぐらいには、右翼の幹部候補生をやっていた。「なんかあったら俺に言ってくれ。街宣車の3台や5台ならいつでもまわしたるど」と言っていたが、いまはどうしているのだろう。彼が右翼の道へ踏み込んだのも、案外、街宣車に興味があって見にいったりしてそのまま…なんてことはないか。
ところが、そのステップバン、中身は全然ダメで、苦労しましたわ。回転あげても力は出ずに、もうもうたる白煙が出るばかり。ピストンリングが減っていてオイルが燃えてんだ。というわけで、車検のときにエンジン載せかえた。中古のライフ(乗用)のやつと。たしか、3万円だったと思う。ひょっとして車検代あわせてかも。
それからは、白煙もなくなり、よく走るようになったよ。といっても、普通の360ccって感じになっただけだけど。でも、ボディのとくに下回りのサビがひどくて。
あるとき、下宿から実家に帰るとき、ガソリンを入れるために歩道に乗り入れたら、そのとき左前の車輪あたりになにやらイヤな衝撃を感じたのだ。それから家までは、たぶん曲がりたがるクルマにステアを当てながら走ったと思う。そいで、このままじゃいかんと、買った中古車屋にいく途中、信号がかわって(黄から赤に?)結構きつめにブレーキをかけたら、ゴツンといって走行不能に。クルマからおりて外から見てみると、車輪がタイヤハウスの後ろのほうにいっちゃってた。と言うか、車輪はブレーキで止まったけど、車体は止まらず前にすすんじゃったんだね。慣性で。サスペンションの一部(ロアアーム)が折れてたんだって。
それに、これは卒業して就職してからの話なんだけど、床面のさびてるところをドライバかなんかでガリガリけずってたら、ついに貫通しちゃって、地面が見えてたからなあ。たぶん、大学が海っぱたで、潮風にさらされてて、洗車もぜんぜんしなかったからだよなあ、と思っていたけど、実際はどうなんだろうねえ。海っぱたじゃなくても、あるいは海っぱたでも洗車をマメにしてたとしても、そうなっていたのかもしれないよ。
これは、就職1年目の冬だと思う。ブレーキが片効きしてるってことは、なにかの点検のときに指摘されてたんだよね。でも、もう、PANDAを買うことになっていて、契約もすんで船で日本に到着するのを待ってた段階だったんで、ステップバンの下取り価格も決定していたし、なおさずそのまま乗っていたんだよね。
ところが、前を2台のダンプがちんたら走っていたんで追い越そうとして右車線にでたら、後ろのダンプがいきなり車線変更してきやがって、これはいかんときつめにブレーキ踏んだら車体がまわりだしちゃって、気づいたらダンプの右後と俺のステップバンの左前があたってた。フロントウィンドウも粉みじんで(いまのみたいな合わせガラスじゃないんで)、でもさいわいなことに、俺もけがはなく、エンジン類も無事で、灯火類も無傷だったんで自走して帰れたんだ。ダンプのほうは荷台の右下の角だったんで、ホントまったくなんにもわからない。たぶんそこがステップバンの左Aピラーとぶつかったんだと思う。あとで思ったんだけど、1台めのダンプが遅いんで2台目のダンプ(俺とぶつかったほう)もイライラしてたんだと思う。なんか、ちょろっちょろっと右によって先をうかがうような動作をくりかえしていたような気がする。PANDAがくるまではたぶん代車に乗ってたと思う。ところがそれが何だったのかはぜんぜん思い出せない。

それが、俺のステップバンの最期だ。いや、最期のはずだった。クルマ屋も「こりゃもう廃車だな」なんて言っとったし。
ところが、そうじゃなかったのである。
納税通知が届いたのだ。とうぜんクルマ屋へ文句を言いにいく。「オークションに出したあと、買主がわからなくてうちでも探してる。早急に対処する」みたいなことを言われて、たぶん税額分のカネをもらって帰ってきたのだろう。といっても、そのころ軽商用車は3600円だったと思う。
きっと、そのすぐあとのことだと思う。なにせまだ「対処」されてなかったのだから。俺はどうしてその道をとおったのかわからない。普段とおる道でなないのだ。オートバイを買うために植田のYSPにいこうとしたのかもしれない。まあ、とにかく、天白警察署の前を通りかかったとき、そのとなりの中古車屋に白のステップバンがあるのを発見したのだ。俺のは黄色だったのだけど、なぜか、感ずるものがあったのか、わざわざクルマをとめて見にいった。すると、左Aピラーにあきらかになおしたあとが(そんなもん買うやつおるのか?)。事務所にいって話をすると「うちもオークションで買ったんだけどそのあと売主さんがわからなくって探していたんですよ」みたいなことを言われ(おい!口裏合わしてんのか!)、まあ、結果的にはめでたしめでたしとあいなったのである。
おしまい。