ディープ桶狭間に入る

このまえピアゴ桶狭間店から、アオキスーパー前後店まで歩こうとして道に迷ってしまった(結局、国道1号線にでてしまった)ので、雪辱戦である。Yahoo!地図の[道案内]によると、右/左折が全部で24ヵ所。それじゃ地図なしでいけっこないよ。ってことで、今度は、ルートマップを印刷して、万全の準備でのぞみました。
信長は戦いのまえに桶狭間山にのぼって周囲の様子をうかがった。と、なにかで読んだことがあるが、そんな山らしきものはこのへんにないし、そんな地名も聞いたことがない。が、途中、かなり上ってすこし下ったので、きっとあの高圧鉄塔の立っているあたりが頂上なのだろう。そこからなら、まわりが見わたせそうだ。でも、いまは、あたり一面住宅だらけ。宅地造成によって、標高も往時よりだいぶ低くなっているにちがいない。野放図にまちが広がるとどうなるか、といういい見本だと思う。そのうち日本中の「〜山」や「〜岳」でさえも、削られて住宅が建てられてしまうのか。んなわけねぇよな。人口も減ってくんだし。でも、トランターやコルサントのようになってしまったら、おもしろいんだけどなあ。まあ、それでまともな生態系が維持できるとは思えないけどね。つまり、ヒトも生きていけないだろう。
むむむ、なんかちがうぞ。いま、国土地理院の地図見てみたら、あの鉄塔のあるところ(地図)がいちばん高いところじゃないな。標高約55メートル、いちばん高いところはそこより北北西に100メートルほどいったところで、まあ、それでも標高60〜65メートルなんでたいしてかわらんか。
それよりも地図を見て発見したんだけど、この辺は大きく見て3つの「山」で構成されてるようだな(ほかにもいくつか標高50メートルをこえる頂っぽいのは散在してる)。ひとつは、いま、おれが言及してるところで、ホシザキ電機がある「山」。2つめは、桜花学園大学朝鮮学校(そのあいだはイムジン河ならぬ愛知用水がへだてている)のある「山」。そしてもうひとつは、ホシザキ電機から道路をはさんで北東の「コーポ風の丘」を頂とする「山」。その3つの「山」に挟まれたハザマ(「喫茶チエ」〔妻は、朝鮮学校も近いことから、「チェ」ではないかと言うのだが〕のあるあたり)がまさしく桶狭間ではないのか。
あるいは、桜花学園朝鮮学校の「山」とホシザキ電機の「山」のあいだにある通廊のようなところをいうのかもしれない。
いま、桶狭間古戦場跡というのは、ピアゴ桶狭間店のほうの(Yahoo!地図)と、名鉄中京競馬場前駅のほうの(Yahoo!地図)の2つあって、おかしなことになっちゃってるけど、たぶん、前者のほうが織田軍の陣で、後者が今川軍の陣があったところじゃないかな(たしかに今川義元の墓はそっちにあるし)。そんでもって、そのあいだの通廊のようなハザマのどこかが戦いの最前線だったのだろう。敵を狭いところにさそいこんで迎え撃つというのが戦いの鉄則だからね(ってホンマかいな!)。