自転車の鍵

上の子が天白図書館へいって、ちっとももどってこない。今日は土曜日なので5時までである。だからもうもどってきてもいいという時間になってももどってこない。
しばらくして、息を切らして帰ってきた。
走って帰ってきたと言う。聞くと、自転車にそなえつけの錠をかけられていたらしい。自分はそなえつけの錠ではなくチェーンロックをかけていたそうだ。
どうせいたずらだろうから、きっと鍵は自転車のとめてあった付近に落ちているのではないかと思った。鍵を持ち帰って暗くなってからふたたびやってきて盗んでいくというのはちょっと考えられない。いまどき所有するために自転車を盗むやつはいないだろう。盗むやつはそのとき[足]として使うために盗むのだ。そもそも、その自転車にはもう1つチェーンロックがかかっているのである。あとで来てもそれをはずすのが面倒すぎる。
また、盗むつもりがないのなら、鍵はもう必要ない。必要のないものを家まで持ち帰ることはない。いずれ捨てるのなら、すぐに捨てるはずである。途中で捨てるのは不自然である。捨てるきっかけがないからだ。すぐに捨てたとすれば、それは自転車のとめてあった付近ということになる。
それに、鍵は犯行の[証拠]になりうるので、いつまでも持っていたくないはずだ。捨てるなら自宅からなるべく遠いところ、つまり自転車のとめてあった付近に捨てるはずである。
ぼちぼち夕飯の準備にかからなければならない時刻だったし、あした行ってさがすことも考えたが、あしたは雨の予報が出ていたので、さがしにくいだろうし、たとえ見つかっても乗って帰ってきにくいし、鍵が見つからなくて錠をとりはずす作業をするのもやりにくいだろう。夕飯は少しぐらい遅くなってもいいし、暗くなると見つかりにくくなるし、もう暗くなりかけているから、行くならはやいほうがいい。と、考えて、すぐに出かけることにした。寒くなることも考えてジャンパーと、懐中電灯と、見つからなかったとき鍵穴に突っ込んでゴニョゴニョするための先の曲がった針金と、たぶんそんなんであかないだろうということで切断用の弓のこと、念のために+と−のドライバを持って。
はじめは自転車をとめていた前に位置する花壇の中をさがした。が、見つからない。花壇の向こう側は、ぐるっと回りこまなければならないので、そんな面倒なところには捨てないだろうと思いつつ念のために見た。やはりない。
自転車をとめたとき背後になる位置に1本の大きな木があった。その根元付近はどうかと懐中電灯で照らしながら1周したとき、足元でチャリンと音が。発見です。ありました。
で、少し、考えが足りなかったことを反省。錠は後輪についている。前の花壇までは少し距離があり、かつ自転車が邪魔になって行きにくい。後ろは通り道になっていた。だったら、その後ろが直近ではないか。そこを真っ先にさがすべきだった。そうしたら、いってすぐに見つかっていたのだ。俺が行ったとき、すでに図書館は閉館したあとで自転車は1台もなかった。そして、例の花壇というのがいかにも物を捨てやすそうな感じ(実際植え込みの根元に空き缶やらなにやら捨ててあった)だった。それらが考えを惑わせた原因だと思う。犯行時の状況を思い浮かべる、という基本を忘れていたのだ。