大問題

その1 「あきらめる」のと「がんばる」のとどっちがいいか?

多くの人は「がんばる」のほうだと答えるのではないか。
だが、がんばるのは苦しい。がんばればその先には喜びがあると思ってがんばるのだが、ないことも多かった。あきらめずにがんばれば夢は必ずかなう。と言う人もいるが、それは夢がかなった人の台詞で、ただ声に出して言わないだけで、がんばってそして夢がかなわなかった人がその何十倍何百倍といることだろう。
たとえがんばって夢がかなっても、それで終わりということにはならない。しばらくは満足していられるが、やがてまた不満が出てきたり、ちがう夢がわいてきたり、より高い目標をめざしたくなって、新たなガンバリが始まってしまう。そうやって一生がんばり続けていくのが本当にいいことなのだろうか。

その2 人類の未来

いったい人類は、アシモフ銀河帝国シリーズのように、何万世代もかけてあまねく銀河の果てまでその居住域を広げていくのか。それとも、A.C.クラークの「幼年期の終わり」のように、進歩も発展もやめ、地球に閉じこもり、楽園の住人のように暮らしていくのか。
 前者は「がんばり」型、後者は「あきらめ」型、と言えなくもなかろう。
 かつて俺の夢は(生きる目的も)前者だったが、いまはそうとも言えない。
いま読んでる

の125ページに

どれもが知性のつかのまのひらめきであり、大宇宙の夜のなかで蛍火のように瞬くだけのものだった。(改行)しかし、いったんある種族が生まれ故郷の世界から動きだし、周囲の宇宙を意識したときには、その成長は値した。宇宙を旅する文明だけが、真におのれの環境を超越し、万物に目的を与える大行進に加わることができる。

と書かれてはいたが、万物に目的を与える大行進(?)に加わる必要がどこにあるのか。とも思う。

偶然の一致が思い込みか

今回、上述のクラークの本を読んでいるとたまたま若田さんの乗ったスペースシャトルが飛びたって、巷では平素よりいくぶん宇宙関係の話題が多くなった。
このまえエンブリオ(帚木蓬生) ★★★★☆ - 主夫の生活を読んでいるときも、たまたま受精卵のとりちがえ事件があって、生殖医療の話をよく耳にした。「エンブリオロジスト」なんて言葉は、その本で初めて知ったし、ひょっとして小説のための造語かとも思っていたのに、新聞の全面意見広告(?)でその広告主として「エンブリオロジスト学会」の名を見つけてびっくりしたよ。