「ら付き言葉」が気になる

あの「見られる」、「食べられる」という、いわゆる「ら付き言葉」がどうにも気になる。もちろん受身の場合はそれでいい。しかし、可能の場合にそれをやられると、可能なのか受身なのかわかりゃしない。というか、俺の場合は、どうしても受身のように思えてしまうのだ。「おいしく食べられます」と言われたら、話者が食べられちゃうような気がしてならない。
受身なら「食べられる」、可能なら「食べれる」と言うことにしたほうが、よくわかっていいのじゃないか。そっちのほうが、言語としてより進化しているのではないか。
文法に合わないからおかしいなんて、そりゃ本末転倒だろう。すでにある言葉の法則が文法であって、文法に基づいて言葉があるんじゃないからね。プログラム言語は別だけど。